「もう、どうしようもなくて、痛くて歩けなくて来ました。」Yさんは、やや太めの50歳台の女性です。
初めて外来にいらしたときには、やっとの思いで歩いていらっしゃいました。右足が腫れあがってしまい、近くのお医者さんでもらった抗生剤の軟膏を、一生懸命塗っているのに、治らないと来院されました。37度台の熱も出ています。右足は、ひざの下の部分から足首にかけてほぼ同じくらいの太さまにまで腫れあがっていて、赤く熱を持っています。膝から数センチ下のすねの中央には直径5センチほど丸くさらに盛り上がった部分があり、中央部にカルデラのように潰瘍があり、黄色い浸出液が出て、じくじくしています。
「ここだけじゃないんです。お腹にもできていて、痛くて痛くて…。」腹部には、ウエスト付近を中心に、直径3センチ大のやや深めの潰瘍が、何個もできています。
「これは、ただ事じゃあない」と思いました。
何かバックグラウンドの内科疾患があって、免疫不全の状態があるに違いない。血液検査もしていないようだし、この体型なら糖尿病があるに違いない!すねに出来ている潰瘍から出る浸出液を、スワブで拭って培養と同定・感受性検査に提出し、採血して、セフェム系の抗生物質、ロセフィンⓇを点滴しました。「安静にしていてくださいね。右足はなるべく挙げるようにしていてください。」とお願いしました。
翌日、「だいぶ楽になりました!」と来院されました。痛みは楽になったとのことですが、相変わらず傷はじくじくしています。
さて、FAXで検査所から送ってもらった血液検査結果は…
あれ?血糖値もHbA1Cも5.1で基準値内。血糖値も二桁。全然高くない!? 確かに、白血球は1万越えをしているし、細菌感染があると増える好中球(染色すると中性に染まる顆粒を持ち、分葉した核を持つ白血球)の割合が増加していますが、糖尿病の影は微塵にもありません。うーん。おかしいなあ…。ぜーったい糖尿病があると思ったのに…。では、なぜこんなにひどい皮膚感染症になっているのだろう。内臓悪性疾患でもあるのだろうか…。頭の中でクエスチョンマークがぐるぐるぐるぐる…。ともあれ、今日もロセフィンを点滴して、培養結果を待つことにしました。
翌々日。「ちょっと調子が良くて、うれしくて歩いたらまた腫れてしまいました」と、患者さん。(安静が大事だって言ったでしょうが—!!(怒))と思いつつ、拝見すると、足もおなかも、初診時と同じような状態まで逆戻り…。それにしても、傷の治りがどうも遅い。何となくいやな予感が…。
4日目の朝、培養結果がFAXされてきました。「来た来た!」とビリっと破って見てみると、検出された起因菌は、MRSA(メチシリン耐性ブドウ球菌)でした!「これじゃあロセフィンは効かないはず!」
セフェム系抗生物質ロセフィンは、いろいろな菌に有効な(「広域スペクトラム」といいます)、一日一回の投与でも有効な抗生物質です。一日に何度も点滴しなくてよいので、外来患者さんには、使いやすいお薬です。しかし、MRSAは、セフェム系抗生物質に耐性を持ちますし、逆にセフェム系抗生物質存在下では、この薬に感受性のある(=薬が効く)他の細菌が死んでいってしまうので、ライバルのいなくなったMRSAは、ますます増殖して病状を悪化させるというわけです。
そもそも、最初に他のお医者さんから処方されていた抗生物質にも耐性がありました。Yさんが、この抗生物質の入った軟膏を、一生懸命塗れば塗るほどMRSAを増やすことになり、結果として重症の皮膚感染症になってしまったのでしょうか。Yさんに良かれと思って使ったセフェム系抗生物質も、このまま使っていたら病状をさらに悪化させた可能性があります。幸いだったのは、外用した軟膏に入れておいたニューキノロン系抗生物質に感受性があったことでした。
「Yさんに電話して、すぐに来ていただいて下さい!」看護師さんに対応をお願いしました。
Yさんは、その日のうちに来て下さいました。培養結果をご説明したところ、とても驚かれましたが、かえって納得できたと言ってくださいました。MRSAの感受性検査結果を見ると、幸いミノマイシンⓇに感受性があったので、点滴をミノマイシンⓇに切り替えました。また、足を少し上に挙げて、なるべく安静にしているように、改めてお願いしました。
すると、翌日には、だいぶ腫れが引き、皮膚の色も茶色味を帯びて来ました。痛みも少なくなったと喜んでいただけました。ミノマイシンの点滴は3日間で終了とし、あとは内服をしていただきました。足の腫れは、一日一日と引いていき、お腹にあった潰瘍も少しずつ浅くなっていき、2週間もすると、すっかりふさがって、白い瘢痕を中央部に残して治りました。足の潰瘍は、すっかり閉じるまでに一カ月ほどかかりましたが、ふさがりました。丸太のように膨れていた膝から足首までは、むくみもとれて柔らかくなり、炎症後に起こる茶色い色素沈着が残るのみとなりました。この茶色い色は、一年以上かかるかもしれませんが、いずれとれるでしょう。
病院勤務中には、多くの入院患者さんが、MRSAによる感染症を併発して、苦しめられるのを見て来ました。外来でも、糖尿病など免疫力が落ちている患者さんたちに、MRSAによる皮膚の感染症が起きることがあります。免疫力が十分についていない子供たちにも、MRSAによる「とびひ」が起こることは、よくあります。しかし、この患者さんのように、普通に暮らしている、特に合併症の無い方が、これだけの症状に苦しめられるというのは、初めての経験でした。一般に、抗生物質が使われるほど耐性菌出現の可能性は高くなります。今後は、Yさんのように何の免疫的異常が無い人に起こる耐性菌による感染症が増えていくと思われます。
改めて、MRSA恐るべし…と感じました。また、感染症に抗生物質を投与するときに、細菌培養・感受性検査を必ず行うことの重要性を、強く感じました。