第17回 熱中症だと思ったら!!!  -劇症1型糖尿病のお話-

「今朝、だるくて、吐いちゃった…。」夏の終わりの、ある朝のことでした。
Fさんが、青白い、というより少しどす黒い顔色で、開口一番言いました。
「このごろあまり食べられなくて、やせちゃった…。」確かに、もともとスリムだったのに、さらに一回り細くなっています。
「それに、この間の飲み会で、ちょっと飲み過ぎたかなあ…。その時からもっと具合が悪くなっちゃったんだよね。」
ちょっと手をとって、手の甲の皮膚をつまんでみると、まだ60歳台なのに、まるで80歳の人の皮膚のようです。乾いて薄く、つまんでできた皮膚のひだも、なかなか元のように平らになりません。(これは、「皮膚のツルゴールを診る」といって脱水の程度をはかる簡便な方法です。普通、手の甲の皮膚をつまみあげてから放すと、ぱっと元のように平らになります。しかし、脱水があるとつまみあげて出来た山型の皮膚のひだが、ゆっくりと平らになるのです。)
「これは、ずいぶん脱水してますね。熱中症かもしれませんね。まず、点滴して水分を補いましょうね。」
そういって、糖分と電解質が入った点滴を始めました。しばらくすると、少しは楽になったようで、うとうとしていましたが、どうも様子がおかしい。私の医院では、十分な緊急検査が出来ないので、ご家族の了解を採って、近所の救急病院へ搬送しました。背景に何らかの悪性疾患、たとえば癌、が隠れているかもしれないので、精査をお願いしました。
ややしばらくして、丁度午前の外来が終わりそうなころ、救急病院から、電話がかかってきました。
「先生、Fさんは、劇症型1型糖尿病の可能性が高いです! 血糖が800ありました!」
ええ-っ?!! Fさんが2年前の健康診断で行った血液検査では、糖尿病の気配は微塵にもありませんでしたから、正直びっくりしました。
「うちではコントロールが難しいので、専門医のいる都立E病院に送ります。」
1型糖尿病は、自分でインスリンを出すことができなくなったために発症する糖尿病です。何らかのウイルス感染による膵臓の破壊、またはウイルス感染による免疫応答反応、またはその両方とにより発症すると言われていますが、まだはっきりしたことはわかっていません。より一般的な、いわゆるメタボリック症候群としての糖尿病(こちらは2型糖尿病といいます)とは違い、食べ過ぎや運動不足、肥満を背景に出来あがってくる病態ではありません。小さいお子さんにも、やせ型体型の人にも起こり得ます。Fさんが、2年前の血液検査で全く異常がなかったのに、1型糖尿病を発症してしまったのも、別に不思議ではありません。予備軍も含めると、日本で一千万人を超え、全世界では2億人近いと言われている2型糖尿病に比べて、1型糖尿病は、日本では10万人にあたり年間1.5人くらいの発症率、中でも劇症型といわれる急速に膵臓β細胞が破壊される例は、年間300人くらいしか発症しません。稀な病態とも言えるでしょう。私も、「脱水」の鑑別診断として考えなくてはいけないのに、その可能性をすっかり見落としてしまいました。

Fさんは、インスリンが枯渇してしまったため、身体にとりこんだ糖分をエネルギー源として細胞にとるこむことができなくて、「栄養不足」に陥ったために急速に痩せてしまったのです。糖分をエネルギー源として使えない一方で、身体を動かすには、蓄えてあった脂肪と筋肉を何とかしてエネルギーにしなければいけない。そのために、いつもは使わない代謝経路を使ってエネルギーをひねり出していたわけですから、具合が悪くなるのも道理です。(この特別な経路が働いていると、尿にケトン体という代謝産物が排泄されます。)

Fさんは、緊急入院してインスリンを持続的に静脈投与してもらい、数日で顔色も良くなり、元気になりました。1型糖尿病となると、まず一生インスリンを注射しなくてはなりません。Fさんも、食事の選び方、カロリー計算の仕方、インスリンの打ち方、血糖値の測定方法などなど、これからの生活で実践していかなくていけない様々なことがらを勉強してから、約1カ月後に退院となりました。

退院後は、近所に開業している糖尿病専門医の先生にお世話になることにしました。初めて行った外来の数日後、先生からお葉書が届きました。Fさんが見せて下さった葉書には、「長いおつきあいになります。苦しいこと大変なことが、これからたくさんあると思いますが、一緒に頑張りましょう。」とありました。1型糖尿病は、今のところ、毎食前と睡眠前の1日4回、インスリンを、生涯注射し続けなくてはいけない病気です。Fさんと一緒に走り続けようという先生のお気持ちが伝わってきて、私も感激しました。約1年たった現在、ふだんの血糖値を反映するHbA1cという指標も、理想的なコントロール指標としての6%台を維持しており、先生から褒められたと、Fさんからうれしい報告をいただきました。

現在、血糖測定器もインスリン注射用の機器も、どんどん小型化し、スマートになってきています。近いうちに、超小型で装着可能な人工膵臓が開発されるでしょう。また、原因ウイルスの特定やそれに対するワクチンの開発、自分の膵臓を攻撃している抗体を中和し不活化させる方法や、iPS細胞などを利用して自分の膵臓のβ細胞を再生できるような方法、神経系を制御することで糖代謝をコントロールする方法などが、一日も早く開発・実用化されることを祈っています。

以前、ボストンのジョスリンクリニックで患者教育コースにオブザーバーとして参加させていただいたことがあります。(1995年頃のことでしょうか)この時一緒に参加していた、19歳の1型糖尿病の青年が言ったことを思い出しました。この青年は、その時初めて新型のインスリンポンプを使ってみたのです。糖尿病は、「コントロールはできるけれど、治りはしないのが医学の常識」と思っていた私にとって、それは新鮮な言葉でした。
「僕はインスリンとうまく付き合っていくよ。いつか糖尿病が治るようになるまでね!」
今では、「糖尿病が治る」という、彼の言葉が、近いうちに実現しそうな気がします。

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