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「アフターコロナ」も見据えた、アクティブサーベイランス体制の拡充を

〜新たな感染症や薬剤耐性菌のリスクに備えるために〜
2020.10.5 | 週刊東洋経済記事より転載


新型コロナウイルス感染症をめぐっては、その感染性の高さからクラスター(感染者集団)も各地で発生した。医療機関などにおける院内感染も全国で起きている。その一方で、PCR検査の拡充がなかなか進んでいないという課題も露呈した。その理由はどこにあるのか。また、「アフターコロナ」も含め、将来起こりうる新たな感染症などのリスクにどのように対応すべきなのか。日本臨床検査医学会「新型コロナウイルスに関するアドホック委員会」委員長も務める、長崎大学の栁原克紀教授(病態解析・診断学)に聞いた。

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栁原 克紀教授写真

「アクティブサーベイランスの習慣をしっかりと土台として定着させることが必要だと考えています」


長崎大学大学院医歯薬学総合研究科
病態解析・診断学分野(臨床検査医学) 教授
長崎大学病院検査部 部長
東北大学非常勤講師
日本臨床検査医学会「新型コロナウイルスに関するアドホック委員会」委員長

栁原 克紀教授

院内感染が発生すると医療機関に大きな影響が

 新型コロナウイルスの感染者数が高止まりしており、なかなか終息の兆しが見えない。クラスター(感染者集団)も依然として各地で発生している。日本臨床検査医学会「新型コロナウイルスに関するアドホック委員会」委員長も務める、長崎大学の栁原克紀教授(病態解析・診断学)は次のように解説する。
「新型コロナウイルスの大きな特徴は感染性の強さです。喀痰(かくたん)や唾液などで簡単に広がってしまいます。さらに私たち人間に免疫がないため、ほとんどすべての人に移ってしまうのです。ならば、感染した人を早く見つけて隔離なりすればいいと考えるかもしれませんが、それも容易ではありません。というのも、新型コロナウイルスは、病気とはいっても、インフルエンザのように明らかな感染症状が出るわけではありません。そのため、医師などが症状を診て判断することが難しかったのです」
 クラスターは、店舗などのほか、医療機関や福祉施設などでも発生している。医療機関の中には数十人単位の大規模な院内感染が起きた所もある。
「もちろん、医療の現場ではマスクや手洗いなどの対策を行っていますが、どうしても患者さんの体を支えたり、顔を近づけて話を聞いたりといったケアが必要です。さらに、もともと体が弱っている方や高齢の方も多いため、感染しやすいのです」
 医療機関で院内感染が発生すると、その影響は大きい。
「医師や看護師が自宅待機ということになれば、病院の機能そのものが低下してしまいます。今入院している患者さんへの対応も人手が不足しがちです。そのため、外来の受け入れを中止した所もあります。さらに影響が大きいのが風評被害です。ひとたび院内感染が起きたとなると、周辺の住民の方も、その病院に行くのをためらうようになるでしょう」

院内感染防止に有効なアクティブサーベイランス

 医療機関における院内感染を防ぐためにはどのような対策が必要なのだろうか。
「最も効果的なのは、新型コロナウイルスなどに感染している人を病院の中に入れないことです。そのためには、感染状況のサーベイランス(監視)が大切になります。欧米では、『アクティブサーベイランス(積極的な保菌状態監視)』が院内感染予防対策の1つとして有効であると考えられています。通常のサーベイランスは、症状のある、病気が疑われる人に検査などを行いますが、アクティブサーベイランスは、症状がない人でも、入院患者さん、外来患者さん、全員を検査します」と栁原氏は紹介する。
 病院には、新型コロナウイルスに感染している人だけでなく、健康診断をし、さらに精密検査を受ける人や、外科、産婦人科、眼科などで受診したり入院したりするために、さまざまな人が訪れる。このような人たちは呼吸器の症状はないわけだが、そのような場合でも、全員の検体を採取して積極的に保菌の状態を監視するのがアクティブサーベイランスだという。
「感染対策をきっちり行うためには、入院患者全員の検査が必要です。長崎大学では入院する患者さん全員にPCR検査を行っています」と栁原氏は紹介する。PCR検査の費用については、現状は病院が全額負担している。
「現在、PCR検査は、医師が感染を疑って検査を行えば保険適用ですが、それ以外は適用外ということになっています。ただし厚生労働省では、保険適用の範囲をさらに広げる方針です」。自治体によってはさらに、公費負担で検査が受けられるよう取り組みを進めているところもある。

PCR検査を行う知識や経験を持つ人材が不足

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 アクティブサーベイランスを実施するためには、PCR検査などの検査が不可欠だ。医療機関などが必要と考えれば、誰でも検査を受けられるようにすることが望ましい。だが、国内の状況を見ると、なかなか検査の拡充が進んでいないという印象がある。栁原氏はその理由について次のように説明する。
「欧米の国々、さらには韓国などと比較しても検査数が少ないのは事実です。背景としては、日本にはこれまで、感染症の対策のために検査をするという土台がなかったといえます。というのも、韓国も含め海外の国々は、重症急性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)など致死率の高いウイルスの流行を経験してきました。このため、感染症をPCRなどの検査で隔離することの必要性を理解していたのです。一方で、日本では幸いといいますか、SARSやMERSの影響をほとんど受けませんでした。ただし、その分、準備が遅れていたのは間違いありません」
 医療機関における検査に対する関心の度合いも低かった。機器や試薬を備えた医療機関が少なく、検査ができる医療機関は限られていた。さらに特筆すべきは知識や経験のある人材の不足だ。
「PCR検査における検体採取では、鼻の奥から採取する鼻咽頭・咽頭拭い液を用います。ここまでは看護師もできますが、その後の検査作業については経験豊富な臨床検査技師でなければできません。長崎大学では10年以上の経験のある技師が行っています。ただし、人材は一朝一夕に育てることができません。PCR検査数が少ないと政府に対する批判も起きましたが、増やしたくても急には増やせないのが実情です」
 SARSやMERSを経験した諸外国では、検査に携わる人材の育成も継続的に行われていたという。日本は後れを取っているものの、その差を埋める取り組みも進んでいる。「最近では、検体に唾液を用いるPCR検査も認められる方向になっています。また、検査を全自動で行える機器も登場しています。もちろん、最終的な判断は人間が行うわけですが、全自動PCR検査機器は作業効率を大幅に向上させることができます」。

アクティブサーベイランスを定着させることが必要

栁原 克紀教授写真
 PCR検査について、国内では検査数を増やすべきという声が多い。それに対して栁原氏は「もちろん、検査数は多いに越したことはありません。だからといって、やみくもに数だけを追って目標に掲げるようなものでもありません。大切なのは、必要なときに必要な人が検査を受けられる環境を整備することです」と指摘する。  新型コロナウイルスをめぐり、「感染対策か経済活動か」と二者択一で語られることがあるが、検査によってその課題も解決できるという。 「感染しているかどうかわからないから、営業活動や移動の自粛を要請せざるをえないのです。それであれば、ちゃんと検査をして、陽性の人は隔離するけれども、陰性の人は旅行にも行ってくださいというようにすれば、感染対策も経済活動も両輪で回せるでしょう」  さらに栁原氏は「アフターコロナ」も見据えている。 「今回は新型コロナウイルスがこれだけ大きな問題になりましたが、今後も新たな感染症が発生する可能性があります。既存の抗生物質が効かない薬剤耐性菌(AMR)が海外から上陸することも考えられます。〝喉元過ぎれば熱さを忘れる〟のではなく、将来のリスクに対応するためにも、アクティブサーベイランスの習慣をしっかりと土台として定着させることが必要だと考えています。そのためには、検査を担う臨床検査技師などの人材育成も重要です。日本の技術は決して低くありませんから、今からでも世界に十分に追いつけるし、強みを発揮できると期待しています」