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針刺し切創、血液・体液曝露の現状と安全器材の活用戦略

職業感染対策実践レポート Vol.7
2010年10月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

財団法人労働科学研究所国際協力センター 職業感染制御研究会 幹事 吉川 徹 先生

1.血液媒介病原体による職業感染

医療従事者が安心して働く上で欠かせないのが、仕事が原因で罹患する感染症(職業感染)予防対策です。例えば、針刺し切創や皮膚・粘膜曝露などを通じて、患者の血液・体液の中に含まれる病原体(血液媒介病原体、HBV/HCV/HIV等)が体内に進入し、職業感染を生じることが知られています。1980年代にHIVの発見を契機として、血液、体液は感染源になるとの認識が世界的に高まりました。その結果、B型肝炎ワクチン接種の推奨・義務化、標準予防策や感染経路別予防策など、科学的根拠に基づく感染管理技術が多くの職場で浸透してきています。
しかし、血液媒介病原体への感染機会となる針刺し切創対策は、依然として大きな課題です。職業感染制御研究会の調査(2009)によれば、100稼働病床数あたり平均年6.3件の針刺しが発生しています1)。単純推計では日本で年間約10万件の針刺し切創が発生していることになります( 許可病床約160万床、厚生労働省統計資料2009年9月をもとに推計)。また、針刺し切創は基本的に自己申告によるので、未報告件数を考慮すれば、実際の発生件数はこれらの数字よりも多いと考えられます。
一方、現場の医療従事者自身も、針刺しと職業感染の可能性について不安に感じています。たとえば、米国看護協会が2008年に実施した調査では、看護師の3分の2(67%)が、針刺し切創、血液・体液曝露の問題が一番の心配事であり、約半数(55%)は「職場の安全風土」が自身の安全にマイナスに作用していると考えています。針刺し切創は、依然として医療従事者の安全と健康を脅かす重大な問題です。
本稿では、「針刺し切創、血液・体液曝露の現状と安全器材の活用戦略」と題し、エピネット日本版の活用方法、針刺し切創サーベイランス全国調査結果などをもとに、針刺し切創の予防策の基本を整理します。なお、最近の研究動向をふまえ、「針刺し事故」とは呼ばず、「針刺し切創」または「針刺し」と呼びます。

2.針刺し切創サーベイランスとエピネット日本版

図1 エピネット日本版の報告書式
図1 エピネット日本版の報告書式
エピネット日本版とEpisys109について
針刺し切創のサーベイランスに用いられている国際的な報告書式に、米国バージニア大学のJanine Jagger教授らによって開発されたEPINet™ があります。EPINet™はExposure Prevention Information Network の頭文字から名づけられています。文字通り「曝露予防」のための「情報」を「ネットワーク」化して対策に生かすことを狙いとしています。損傷予防疫学(Injury Epidemiology)という研究領域からこの書式は開発されています。

EPINet™は2010年現在、世界83か国、21言語に翻訳され、針刺し切創発生メカニズムの科学的知見の集約に貢献し、職業感染に苦しむ医療従事者の支援に活用されています2)。日本では職業感染制御研究会により翻訳改訂され「エピネット日本版」が1994年に公開されました。エピネット日本版は「A : 針刺し・切創報告」と「B : 皮膚・粘膜汚染報告書」の2種で構成されます。また、これらの報告書式の情報を電子情報入力し、簡単な単純集計が可能なツールとしてMicrosoft Accessで作成された入力・分析ソフト「Episys109」も公開されています。いずれも職業感染制御研究会のホームページから無料で入手でき、(職業感染制御研究会 http://jrgoicp.umin.ac.jp/)2010年現在HP上で1500件以上ダウンロードされて、大学病院や一般病院で主に活用されています。

また、職業感染制御研究会は、電子カルテあるいは院内LAN を用いたエピネット日本版報告システム構築を推奨しており、一部の施設ではすでに活用しています。表1にはエピネット日本版の利点をまとめました。

表1 エピネット日本版の利点

  1. 針刺し切創、血液・体液曝露事例を短時間で要点を漏らさずに記録することができる
  2. 労働災害や公務災害の書類作成に利用できる情報を記録できる
  3. 自己記載式の報告書式であり本人が針刺し予防のための視点を学ぶことができる
  4. 全国データやネットワーク病院と比較ができるので、自分の病院のデータと全国データの差異から、優先対策を検討しやすい
  5. 公衆衛生の領域におけるインジャリ予防( 損傷予防) の視点から、疫学的な解析を行うことで対策の改善点が明らかにできる
  6. 無料で入手できる
エピネット日本版は、各質問項目の選択枝が多いので、初めて記入する際には戸惑いがあるという声を聞きます。記入にあたっては、トレーニングを受けた担当者の助言を受けなが
ら、記入するのがよいでしょう。また、感染管理者または労務担当者など担当者自身が、受傷者から聞き取りをし、記録することも正確な情報を整理するために重要です。
また、報告は徹底されデータは集めているが、データの分析・活用がされていないという声も聞きます。Episysは、職種別や器材別のクロス集計など様々な分析をすることができます。
図2 静脈留置針による針刺しの発生状況
図2 静脈留置針による針刺しの発生状況
図2にはEpisysを活用した分析例を示しました3)。対象病院では過去に発生した24件の静脈留置針による針刺しを分析しています。この病院では静脈留置カテーテル留置処置は医師が行い、看護師は補助者となっています。分析データを基にグラフを作成することで、どのプロセスで針刺しが発生しているかわかります。このケースでは、静脈留置針は処置が終わったあとに多く発生していたことが分かりました。このような場合、安全器材の導入により、使用後の静脈留置針による針刺しの多くを防ぐことが可能でしょう。


下記にエピネット日本版を使ったサーベイランスのコツをまとめましたので、参考にしてください。
  • 病院内の血液・体液曝露発生数を公平に数えること
  • 使用された器材数などを活用し、集計・分析したいと考える針刺し切創事例の対象(分母)を考える
  • 事例の発生率を公平に判断しているか、未報告の可能性も検討に入れる
  • 結果に基づく、対策の優先度はチーム内の意見交換で決定する

3.JES2009の結果

針刺し切創の原因器材上位15 種 図3 針刺し切創の原因器材上位15種(JES2009、職業感染制御研究会HPより引用)
図3 針刺し切創の原因器材上位15種
(JES2009、職業感染制御研究会HPより引用)
職業感染制御研究会は全国のエイズ拠点病院でエピネット日本版を利用している施設を対象に、エピネット日本版サーベイランス2009年(JES2009)を実施しました。主な結果を第25回日本環境感染症学会総会で報告し、職業感染制御研究会のHPでも公開しています。JES2009 には78 施設が参加し、過去5年の針刺し切創13,830件が報告されました。Episysによる分析の結果、最近の針刺し切創の特徴が明らかになり、針刺し切創の原因器材、安全器材および非安全機材使用割合などから多くの示唆が得られています。

図3には針刺し切創の原因器材上位15 種を示しました。注射針による針刺しが最も多く報告されています。採血やインスリン注射、薬剤の筋注など、多くの場面で注射針による針刺しが発生していることが推測されます。翼状針による受傷は、10年前の調査時では2 番目でしたが、今回の調査では3番目となっています。その背景の1つに、安全機材の普及が考えられます。しかし、翼状針針刺し総数は減少している一方で、報告事例の8割近くが安全器材とよばれる翼状針で発生していることに注目する必要があります。
図4 安全器材導入状況の変化(JES2009、職業感染制御研究会HP より引用)
図4 安全器材導入状況の変化
(JES2009、職業感染制御研究会HP より引用)
JES2009と同時に行われた、針刺し損傷に関する施設の体制変化(112施設参加)の調査結果からも最近の特徴が明らかになっています。図4には、安全器材導入状況の変化を示しました。2003年の同様の調査比較し、血液ガス、ランセット、静脈留置針はほぼ9割の導入率となっていますが、真空採血用針、注射針に関してはあまり変化がありません。常に注射針が針刺しの原因器材で一番多いことを考えると、安全機能付き採血針や分注用の安全器材など、安全器材をより活用することが必要と考えます。

4.組織で取り組む針刺し切創対策のポイント

表1 針刺し防止のためのチェックポイント15
表1 針刺し防止のためのチェックポイント15
2010年2月に、地方公務員災害補償基金から針刺し防止のためのハンドブックが公開されました4)。HPから無償でダウンロードが可能です。本ハンドブックでは、表1に示すような対策が整理されました。様々な使用場面に合わせイラストとともにポイントが解説されているので、研修トレーニングに活用できます。安全器材を正しく使用する際にはトレーニングが大切です。このようなツールを利用しながら、各施設の状況に合わせた新人教育、中途採用者教育を実施するべきでしょう。
図5 各針刺し切創防止チェックポイントおよび解説イラスト(一部抜粋)
図5 各針刺し切創防止チェックポイントおよび解説イラスト(一部を抜粋)
(病院等における災害防止マニュアル- 針刺し切創防止版-.
東京:地方公務員災害補償基金、平成22年2月.から引用)
この他にも、組織的な針刺しなどの鋭利器材による職業感染防止に役立つ「針刺し損傷防止プログラムの計画、実施、評価に関するCDC ワークブック」を活用しても良いでしょう。本ワークブックはCDCのDHQP(CDC's Division of Healthcare Quality Promotion) がWorkbook for designing,Implementing,and Evaluating a Sharps Injury Prevention Programとして2004年2月ウェブ上で公開(2008年改訂)しており、日本語にも翻訳されています5)。本ワークブックは組織的な取り組みのレビューや、針刺しサーベイランスを活用した効果評価プログラムの立案に役立ちます。

参考文献

1) 職業感染制御研究会 http://jrgoicp.umin.ac.jp/

2) Global Initiative for Healthcare Worker Safetyand Occupational Exposure Prevention, International health care worker safety center, University ofVirginia. Accessed
at : http://www.healthsystem.virginia.edu/internet/safetycenter/

3) 吉川徹ほか.公災認定・労災保険給付請求書類を利用した針刺し切創データベース構築とその分析.産業衛生学雑誌2006:48(1) ; 25.

4) 病院等における災害防止対策研修ハンドブック- 針刺し切創防止版(- PDF:15.2MB).病院等における災害防止マニュアル-針刺し切創防止版(- PDF:2.2MB).東京:地方公務員災害補償基金、平成22年2月.(病院等における事故防止対 策ハンドブック(仮称) 等製作検討会作成.座長吉川徹)

5) 針刺し損傷防止プログラムの計画、実施、評価に関するCDCワークブック(監訳:満田年宏先生)日本BD のHPへのリンク
http://www.bdj.co.jp/safety/1f3pro000009cv6w.html