志賀は自身の研究生活や恩師、仲間について多くの学術誌に寄稿しています。そしてそれらの中で、自身の研究生活は非常に幸運であったと述べています。赤痢菌の発見時の幸運として、まず北里柴三郎から直接指導を得られたこと、その当時赤痢は欧米では流行しておらず、特に発見した年は東京を中心に大流行していたこと。また、通常であれば赤痢の原因菌探索のテーマは先輩に行くのが順序でしたが、たまたまその先輩は留学する事が決まっており、志賀に指示がきたため発見することができた、先輩に指示が行っていたら間違いなく先輩が発見していただろうとも述べています。これらの幸運に加えて器用で粘り強く、研究する事が面白くてたまらなかったという探究心を持ち合わせていたことが、偉大な発見に繋がったのであろうと考えられます。
赤痢菌の発見で良い思いをしたことがあるという思い出話をひとつ。インド南部の都市マイソールがまだマイソール王国だった頃、防疫施設の助言をするため国賓として志賀は招かれ、王宮に宿泊する事になりました。豪華でありながら瀟洒なつくりの寝室には、天蓋とレースの掛かったベッドが置かれていました。王様用のベッドに横になり悦に入った姿は普段の真面目な顔とは異なり、純粋に喜ぶ顔をしていたに違いありません。さて、研究者としての志賀は指導者にも恵まれ幸せであったかも知れませんが、最愛の妻に先立たれただけでなく、戦争で長男、そして三男を結核で失い、特に三男の死にあたっては忸怩たる思いがあったであろうことを容易に想像できます。
参考文献:「志賀 潔 或る細菌学者の回想」日本図書センター 志賀潔著
(文責:日本BD 川口恵子)