大村智博士(北里大学特別栄誉教授)に2015年ノーベル医学生理学賞が授与された。感染症診療の領域では日本初となる記念すべき受賞である。日本人では過去に北里柴三郎博士や野口英世博士がノーベル賞候補となるも受賞を果たしていない。この喜ばしい受賞をIgnazzoの誌面でもお祝いしたい。
報道されているように、大村博士は放線菌(
Streptomyces avermitilis:2002年に
S. avermectiniusに改名)の醗酵産物から「エバーメクチン」を見出し、改良型の「イべルメクチン」も製品化された。この薬は熱帯の河川域で発生する「オンコセルカ症」に対し、4000万人を治療し、60万人の失明を未然に防ぐことができたと言われている。類縁の感染症を含め毎年約3億人が服用していると言われている。
日本では「オンコセルカ症」は馴染みがないので実感が湧かなかったが、「イベルメクチン?」、どこかで聞いたような…「そうだ糞線虫だ!」。日本でも使われている薬であることを思い出した。糞線虫症は奄美・沖縄を中心とした九州以南の島々の風土病である。1980年代後半の調査では沖縄本島の住民の5~10%が感染していたとする報告もある。また同域に侵淫しているATLV-1(成人T 細胞性白血病ウイルス)キャリアには重複感染を起こし重症化することも知られていた。1989年には琉球大学医学部第一内科の齊藤厚博士らを中心とした「沖縄糞線虫症治療研究会」が発足し、糞線虫症との新たな戦いが始まった。
沖縄の糞線虫症は
Strongyloides stercoralisによる感染症で、土壌中から経皮的に感染し腸内に棲み着くが、幼虫が腸粘膜を通過して他の部位に移動する場合(播種性糞線虫症)は腸内の細菌を伴うため、敗血症や髄膜炎を起こすこともある。糞線虫症の治療は「サイア(チア)ベンダゾール」という薬が存在したが、強い肝毒性による消化器症状と神経学的副作用により十分な量を服用することは困難であった。そこで、齊藤博士らは副作用が少なく効果が期待できる「イベルメクチン」に着眼し治験を開始した。幾多の困難を乗り越えて2002年に薬価収載され、多くの患者を糞線虫症から救ったのである。治療法は、はじめにわずか2錠(200μg/kg)服用して2週間後にもう一度服薬する方法で、ほぼ100%の駆虫率であった。いったん感染したら自力では一生排除できない糞線虫症がこの薬で制圧可能になった。
日本国内では「糞線虫症」以外にも「疥癬」の内服治療薬として2006年から適応が追加されている。疥癬は「ヒゼンダニ」による強いかゆみを伴う皮膚感染症で、病院や高齢者入所施設などでヒト-ヒト感染や寝具・衣服などを介して院内感染を起こす厄介な「虫」である。これらが内服薬で管理できるようになったことも福音である。「イベルメクチン」は国際的に信頼できる効果の根拠が示されていたため、日本国内での新たな臨床試験は実施することなく疥癬への適応が追加された。
日本で使用されることはなかったが、思い起こされるのは「リンパ性糸状虫症:象皮病」である。これは「バンクロフト糸状虫」という蚊によって媒介される寄生虫症であり、いわゆるヒトの「フィラリア症」である。かつて日本南西部を中心に全国で見られた疾患であり、鼠径のリンパが閉塞することにより下肢が象の足のようにむくんでしまい、心理的にも辛い病である。維新の勇である西郷隆盛もこの病気に苦しんだと伝えられている。「イベルメクチン」が世に出たころには日本では見かけることがなくなった感染症であるが、世界を見渡せばいまだにリンパ性糸状虫症の治療に使用されている。
最後に、ヒトより以前からこの薬は家畜やペットに使用されてきた。イヌのフィラリア症の治療薬としてヒトよりも古くから使用されている。ヒトだけではなく動物たちにも福音をもたらした「イベルメクチン」、やはり偉大な発見だった。
引用: 齊藤厚 糞線虫症撲滅奮戦記 化学療法の領域 Vol.29, No.3, 2013
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2015年1月(改訂 第16版)
(文責:日本BD 吉田 武史)