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コラム:マラリアのはなし

2016年12月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

ハマダラ蚊
ハマダラ蚊
マラリアはいまだに制圧できていない世界三大感染症(HIV感染症・結核・マラリア)の一つであり、年間2億人以上の罹患者と40万人以上の死亡者があるとされている。死亡例の多くはアフリカのサハラ以南の乳幼児(5歳以下)であることが痛ましい。
マラリアは熱帯・亜熱帯の感染症と考えがちであるが、かつては欧州や米国、日本にも土着のマラリアが存在した。まず、マラリア(mal-aria)は「悪い空気・空間(ariaはオペラなどのアリアと同義)」であり、ラテン語圏の病名である。マラリアは色々な別名を持つが、「ローマ熱」とも呼び、古代のローマにも土着していた。現在のバチカン宮殿あたりは低い沼地であったようで、ハマダラ蚊が生息して多くのローマ人やキリスト者の命を奪った。また、米国南部から中米にかけてもマラリアは流行していた。マラリアを(実際には媒介する蚊を)駆除するために「Office of National Defense Malaria Control Activities」という組織が作られた。この組織はマラリアを駆逐した後はその役割がなくなり存続が危ぶまれたが、姿かたちを変えながら今日のCDC(Center for Disease Control and Prevention)となった。日本では「瘧:おこり / 瘧病:おこりやまい」と呼ばれるものの一部がマラリアであったと考えられ、8世紀ころの「養老律令」(757年)に瘧の記載がある。明治以降では北海道深川市に駐屯した屯田兵と家族の20%近くが感染していたと伝えられ、本州だけでも琵琶湖周辺や愛知などに土着マラリアの記録が残っている。日本でマラリアがなくなったのは、水田に生息するハマダラ蚊が水田の環境や稲作法の変化により減少したことが理由ではないかともいわれている。

さて、治療薬の話である。南米の「キナノキ」の根元にたまった「苦い水」をマラリア患者が飲んだところ熱が下がったと言い伝えられていた。そしてキナの樹皮に抗マラリア作用が確認され、これが17世紀半ばには宣教師たちによって「イエズス会の粉」として欧州にもたらされた。主成分は「キニーネ」であり、マラリアに対し劇的な効果を示した。おそらく有史以来、最も効果のある抗微生物薬ではなかったかと思われる。またキニーネは予防薬としての役割も演じている。インドを植民地として進出してきた英国人たちは、キナの樹皮の抽出物を炭酸水に加え「トニックウォーター」として利用した。このキナ入りのジントニックを飲用することによりマラリアを遠ざけていたようである。キナ入りのトニックウォーターは日本では販売されていないが、海外ではいまだに入手することができる。
キニーネからは副作用の少ないクロロキンやメフロキンが開発されたが、これらに耐性の熱帯熱マラリアも出現したため、耐性のないキニーネの役割もいまだに重要である。
キニーネより歴史の古い抗マラリア作用のある物質も忘れてはならない。中国では1000年以上前からヨモギ属の植物が皮膚病やマラリアの治療に用いられていた。ヨモギ属のクソニンジン(Artemisia annua)からアルテミシニンという抗マラリア薬を見出したのは、2015年に日本の大村智氏らと共にノーベル生理学・医学賞を受賞したTu Youyou(ト ユゥユゥ)氏である。アルテミシニンも耐性の熱帯熱マラリアに効果が期待され重症のマラリア治療に大きな影響を与えた。

今後のマラリア対策であるが、ハマダラ蚊-ヒト-ハマダラ蚊という感染環を断ち切ることが最も有効と思われる。ハマダラ蚊の活動が18時頃から始まるため、アフリカでは夜間に家の入口に殺虫剤を含んだ蚊帳を利用することがWHO主導で始まった。また、蚊媒介感染症全体にも関連するが、ホルモンや放射線、遺伝子操作による「不妊蚊」の開発も期待される。しかし、ダニと相並ぶ感染症媒介生物の根絶は並大抵のことではなさそうである。素人考えではあるが媒介するハマダラ蚊体内のマラリアそのものを殲滅する方法がないか・・などとも考えてしまう。今後の人類の英知に期待したい。
(文責:日本BD 吉田 武史)


引用: World Health Organization:World Malaria Report 2015.
(http://apps.who.int/iris/bitstream/10665/200018/1/
9789241565158_eng.pdf?ua=1)
佐藤健太郎 著 「世界を変えた薬」 講談社現代新書
モダンメディア 62巻2号2016 [人類と感染症との闘い]