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諸外国の費用対効果評価の使われ方と日本の動向

必見!医療経済事情
2017年11月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。

東京大学大学院 薬学系研究科医薬政策学 特任准教授 五十嵐 中先生

l. はじめに

 前回の記事では薬剤経済評価・費用対効果評価について、オプジーボ、ソバルディ、レパーサの3剤を例にとって、「全薬剤が保険でカバーされる」制度を聖域化する議論から、財政状況その他を考慮して最適な医療システムを維持していく方法を考える方向へ世論が転換したことを紹介した。
 超高額の薬剤に対して国がまず取った施策は、何とかして価格を圧縮することである。
 まず、ソバルディやハーボニーに対しては、年間売り上げ高が一定額 (1,000億円以上)を超えた場合に、予測売り上げとの比に応じて最大50%まで価格を引き下げるルール (特例再算定)を導入し、2016年4月の薬価改定で30%価格を引き下げた。
 2016年の薬価改定に間に合わなかったオプジーボに対応すべく、2018年の次回改定を待たずに改定を行う期中改定のルールを新設した。このルールと先ほどの特例再算定の合わせ技で、2017年2月の臨時改定で半額まで (50%)価格を引き下げた。
 薬価が30%や50%引き下げられたことで、高額薬剤の議論は「一件落着」…と考える向きもある。しかしここまでの議論は、「オカネ」の話のみに終始していた。機械的な基準 (具体的には特例再算定の引き下げ基準) を当てはめて価格を引き下げることと、「値段に見合った価値があるかどうか」を評価することとは別問題である。
 医療予算全体への影響、いわゆるバジェット・インパクトが重要なのは必然だが、「極めて高いが極めてよく効く薬」と「極めて高いのにあまり効かない薬」を切り分ける費用対効果の評価がなければ、医薬品の価値を正しく評価することは難しい。前回概念を説明した費用対効果について、今回は実際の使われ方を紹介したい。

ll. 英国での評価状況とは?

 政策応用を考える際に常に話題に上るのが、英国の医療技術評価機関 (HTA機関)・NICE (National Institute of Health and Care Excellence)のシステムである。NICEが知名度では抜きんでていることもあり、「英国は費用対効果を計算して、それのみで一律に給付する・しないを断ずる」のように誤解されることも多いが、費用対効果のデータは給付の可否の基準の一つであり、それのみですべてが決まるわけではない。
 NICEに企業が評価を提出する際には、前回紹介したQALY (質調整生存年)を使うことが原則である。1QALY獲得あたりの上限値 (閾値)としては2万~3万ポンド/QALYが用いられる。
 「日本の価格は英国の5倍」とも騒がれたオプジーボであるが、その「5分の1」の英国の価格は果たして効き目に見合っているのだろうか?
 現時点で公開されている資料によれば、肺がんに対するオプジーボのICERは1QALYあたり8万ポンド程度と、閾値を大きく上回る。
 もっとも、英国「ですら」費用対効果の数値のみをもって硬直的に給付の可否を判断するのではなく、さまざまな救済措置が存在する。例えば費用対効果が悪くてそのままでは給付できない薬剤に関し、企業側から値引きや投与期間の限定 (一定期間投与したのちは企業が薬剤費を負担するなど)のような追加条件を提案して給付を確保していく「患者アクセススキーム (Patient Access Scheme)」や、末期の患者に用いる薬剤に対して費用対効果の計算 (具体的には、QOLでの重み付け)を行う際に有利な仮定をおくことができるルール (終末期特例)などがある。終末期特例が適用された場合は、閾値は実質的には5万ポンド/QALYまで引き上げられている。
 終末期特例や患者アクセススキームなど、さまざまな手を尽くしても、費用対効果の値は「給付を認める」ためにはやや厳しい状況にある。これらを踏まえて、現段階ではオプジーボを本体の予算で肺がん患者全員に給付することは難しいとされ、PD-L1の発現率が10%以上の患者に絞りこんだうえで、時限的に特別予算 (Cancer Drug Funds)でまかなうことが検討されている。
 注目すべきは、「オプジーボは英国で5分の1の価格」であることでなく、むしろ「その『安い』価格をもってしても、英国では費用対効果が悪いと判断されている」ことである。

lll. 英国「以外」での費用対効果の使われ方は?

表1
表1
 表1に英国、フランス、ドイツ、豪州における費用対効果評価の使われ方を示した。英国と豪州では公的医療制度での給付の可否に、フランスとドイツは価格調整に使うのが原則である。しかし価格「調整」に用いる後者の2ヵ国で、その活用実態は大きく異なる。
 どちらの国でも価格設定の基礎となるのが、既存の医療技術と比べて臨床的に優れている点があるかどうか、すなわち追加的有用性 (相対的有用性)の有無である。大雑把に表現すれば、「追加的有用性があれば、今までの薬よりも高めの価格が交渉によって認められる」となる。
 フランスは2013年10月から、一定レベル以上の追加的有用性の認定を希望し、なおかつ一定の市場規模 (年間2億ユーロ以上)が見込まれる医薬品・医療機器に関して、費用対効果のデータが要求されるようになった。単純に言えば、「より高い値段を希望するのなら、費用対効果のデータの添付が必要」という状況だ。
 これまで3年強で100近くの医薬品・医療機器についてデータが添付されている。なお費用対効果の結果(ICERの大小)が直接価格に結びつくのではなく、価格そのものは臨床効果をベースにした交渉によって決定される。
 一方でドイツは、費用対効果のデータを最初に要求するのではなく、「揉めた場合の最終手段」として利用する。ドイツでは上市直後は企業の希望価格で保険給付が始まる。そして上市後6ヵ月間の間に追加的有用性の有無が評価され、「有用性あり」となれば価格交渉に移り、なしであれば薬効群ごとの参照価格が適用される。追加的有用性の評価は、HTA機関であるIQWIGが実施し、保険者G-BAが最終判断を下す。
 価格交渉が合意に至らず、調停も不調の場合に、最後の手段として費用対効果評価で判断する…とされているが、現時点でこのプロセスが発動した例は、システムが導入された2010年以降で1件もない。それゆえ費用対効果評価の政策応用に関しては、ドイツではルールはあるものの実際の活用例はないといえる。

IV. 費用対効果「だけ」では何も決まらない

 教科書的には、前回紹介したように「ICERを求めて」「閾値より上か下かを判断し」「費用対効果の良し悪しを判断し」「政策決定を行う」流れになる。しかし、英国NICEのように基準 (1QALYあたり2万~3万ポンド)を明示している国はごく少数派であり、通常は潜在的なものにとどまることが多い。さらに豪州PBACのように、「費用対効果のデータは多種多様な意思決定ツールの一つであり、実際の推奨の可否は、他の治療法の有無や医療予算へのインパクト、疾患の重篤度などを総合的に判断して実施する」として、「閾値を設定しない」ことを明示する機関も存在する。価格調整に使っているフランスHASも、閾値に関しては「実際の評価例が十分に蓄積されたのちには帰納的な推計が可能だが、現段階で線引きはしない」としている。
 費用対効果を政策に使っている国は多いが、費用対効果「のみ」で政策決定を行う国は世界中どこを探してもない。先のオプジーボの例でも紹介したように、最終決定を下す際には費用対効果以外の要素を十分に吟味したうえで行うことが不可欠である。アプレイザル(総合的評価)と呼ばれるこのプロセスが、費用対効果の政策応用には非常に重要である。
 NICE「ですら」終末期特例その他、さまざまな個別の事情を考慮している。とすれば、実際の評価結果から推計した現実的な閾値はいくらなのか? これを実例をもとに再評価したのがDakinら (2015)の研究である。2011年までの評価結果をまとめると、給付を拒否される確率が50%となるポイントは4万ポンド/QALY付近であり、「3万を超えたらよほど強い理由がなければ…」の公式発表よりもやや柔軟に運用されていることがわかる。
 さらに、この50%ポイントを疾患別に見た場合、表に示すように呼吸器系 (2.0万ポンド)から筋骨格系 (5.6万ポンド)まで、疾患によってもゆれがある。がん領域は4.6万ポンドと平均よりやや高く、「抗がん剤が不当に低く評価されている」事実がないこともわかる。

V. これからの日本の動向は?

表2
表2
 2012年から日本でも中医協に費用対効果評価専門部会が組織され、2016年4月からは試行的導入が開始された。オプジーボやソバルディを含んだ複数の既存薬に関して費用対効果のデータ提出が要求され、外部専門家による再分析・費用対効果以外の要素を考慮する総合的評価を経て、2018年4月の薬価改定時に結果を反映させる予定である。従前の「費用対効果評価を導入すべきか否か」の議論はもはや過去のものとなり、「どのように医療制度の中で費用対効果を活かしていくか」に移行したといえる。
 ほんの数年前ならば、最初に紹介した情動的な意見、すなわち「医療にお金の話を持ち込むべきではない」「人命は地球より重い」「日本には費用対効果のような発想はなじまない」を持ち出すことで、議論を終わらせることができた。ソバルディ、オプジーボ、レパーサの「黒船」により、高額薬剤をめぐる空気は根本から変わった(表2)。
 空気が変わったのは喜ばしいことだが、かといって「オカネ」のみの話に矮小化することもまた問題である。売上げや財政影響を考慮するのはもちろん重要ではあるが、「財政影響」と「費用対効果」、すなわち「オカネと効き目のバランス」は、常に双方に着目する必要がある。
 「黒船」以降、皆保険制度を維持していくために、医療でもオカネの話をすることはある意味不可欠となっている。「国から要求されなければ、費用対効果のデータなど誰も気にしない」時代から、「行政・医療従事者・患者その他、どのステークホルダーからも効率性の議論が提起されうる」時代へと、状況は変わりつつある。オカネの話を誰も気にとめなかった時代には、高い保険点数(薬価や材料価格や手技料など)を得ることがゴールとされ、その価格が価値に見合っているかどうかが議論されることはほぼなかった。しかし今後は臨床現場においても、オカネと効き目のバランスを適切に説明することが求められる時代にある。国だけでなく、患者・医療提供者・一般の人など、医療技術をとりまく「どの」プレーヤーが「いつ」問題視してもおかしくない状況が生まれているのである。これらを踏まえて筆者は、費用対効果評価に関するリスクは「やるリスク」から「やらないリスク」に転化したと捉えている。
 今までの再算定ルールに加えて費用対効果を考慮することは、一見、ハードルがさらに高くなったようにも思えるが、「オカネ」と「効き目」を両にらみしつつ、真の医薬品の価値を明らかにするためには、むしろ不可欠なハードルである。効き目に目を向けずにひたすら医療費削減だけを追求していくようなスタイルには、いずれ限界がやってくる。企業にとっての「逆風」が吹き荒れる中で医療技術の価値を正しく伝え、予見可能性を最低限確保するための手段として、費用対効果のデータが適切に活用されることを望みたい。